新たな始動

過去のブログを、ほぼクローズしました。削除ではなく、バックアップをとり、非表示にしました。
記録自体は、削除しません。私の、東京生活15年の歴史です。私の苦しみをそこに吐き出してきました。
ただ、あまりにも愚痴っぽいと思うようになったので、いったんクローズして、有意義なものだけを再度どこかにアップしたいのです。

特に、ニートの兄については、同じような境遇の人が増えると思うので、書き残したいです。
家族にこういう人がいることは、本当に苦しくて辛いのです。
息子を刺した元農水省次官の娘、刺されて死んだ熊澤英一郎にとっては妹にあたる女性が自殺していたと聞いて、さもありなんと思いました。
私も、何度も死にたかったですもの。
こうした兄弟を、他人は「無能力なかわいそうなご兄弟を見捨てないであげて」とか「あなたは頭が良くていい大学にも行ってるからお兄さんの気持ちがわからないのよ」なんて無責任なことを言います。
たとえば脳性麻痺で何もできないかわいそうな人であれば、それも理屈ですが、こういうニートって、実はそうでない兄弟にものすごいひどい当たり方をします。
親が甘やかした、私の兄や、熊澤英一郎みたいな人間だと、生まれながらの自分の召使、見下していい存在だとふるまいます。
熊澤英一郎は妹が自殺したとき、このようなことを言っていたそうです。
私の兄もおそらくそういうでしょう。
私は、だから、何度も自殺したかったけど、こういうことを言われると思って死にませんでした。
私の苦しみの原因になっている存在にこんなことを言われるぐらいなら、生き抜いてやると思いました。

私が良いものを持っていれば、それが取り上げられるものであればよこせといい、取り上げられないものであれば「生意気だ」と言います。
財産も、未来も、人格も全部取り上げてもまだ飽き足らないかのようにふるまいます。
前のブログで、兄が住んでいた家とその始末について読んでいた人さえ、数年経って「たった二人の兄弟なんだから」とか言い出します。
「あなたは頭が良くてわからないんだろうけど、お兄さんはお兄さんなりに悩んでるんだから、あなたは優秀だし、そうじゃないお兄さんをもうちょっとかわいそうに思って、それを見捨てるようなこと・・・」とか言いたげです。
ああいう兄弟がいると、ああいう兄弟にまともな兄弟がいじめぬかれる、あるいは人生を非常に妨害されてしまうんです。それでも「かわいそうだから見捨てるな」と言いますか?

本当に、幸せな家庭に育った人にはわからないことなんだろうなと、思います。
もしも生まれ変われるなら、今度は、温かい家庭に生まれたいです。
でも、生まれ変わったとしてもそれは私の人生じゃない、私は「今の」私の人生を取り返したいんです。
だから絶対に、死ぬまで、死の瞬間まであがきます。
残りの人生だの、なんだの、守りに入ることだけはしません。

それにしても、あの元農水次官、息子を殺すぐらいだったら、なぜ娘が自殺する前に殺さなかったの、って聞きたいです。
結局、自分が殺されそうになってやっとですよね?
娘さんの苦しみがいかばかりか、まったくわかってなかったですよね?
わかってたら、自殺した直後にでも息子をブッ殺してたでしょ?自分が可愛くて、本当に子どもには向き合っていなかったでしょ?
そう、責めなじってやりたいと、いつも思います。

スポンサーリンク





シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする