とりとめもなく。

住民税の督促が。

うっかり忘れて、住民税の督促がきました。
3万3千円。たかすぎます。これが、1年の1/4です・・・。
この気持ちを表すような画像を探していたら、以下のようなものを見つけました。

画像の出典はどこかわかりません。ネット上からの拾い物です。
「短きものを端切ると 云えるが如く しもととる 里長が声は 寝屋戸まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり 術なきものか 世の中の道」
今から1200年前に、今と同じ悩みを詠った山上憶良は天才だなと思います。
こういった文芸って、この時代にひょっとしたら世界にはないかもしれない、英雄叙事詩や寓話はあるかもだけど、このように「貧しい人の視点」から「税金を取られる」ことを描いた文芸って、ひょっとして世界初かもしれないなと思っています。

日本は安定した王朝だったから。

日本史を見ると、古くからずっと「天皇」が居て、天皇の下で政権交代はあっても「天皇を担ぐ」ということは変わっていません。
天皇制以前の卑弥呼の時代も、卑弥呼没後、男の王が立ったらお互い政権争いをして収まらなかったので、卑弥呼の血縁の女性を女王にしてそれを補佐するかたちにしたら収まった、という記述があります。
「トップは象徴」そういうのが、日本人に合う国家体制だったのでしょう。

雄略天皇は、大和王朝の権力を固めた大王だったけれど、男系の有力者をほぼ皆殺しにして即位したために、その後続かず、継体天皇が大和王朝の皇女である手白香皇女を娶り、その間の息子の欽明天皇からは確実に天皇家の血筋は続いています。(ここで女系で続いているよねどう考えても。)
継体天皇は大伴氏に担がれて天皇の位に就いたので、当然ながら大伴氏が権力を持ちました。その後、権力は物部氏、蘇我氏、藤原氏と渡り、天皇を担ぎ上げる形で、その下の権力者は変わっても天皇が名目上の一番上であることは変わらない、という形が定まりました。
藤原氏の摂関政治のあと、今度は天皇の父が「院政」という形で、自分の息子を操り人形にしたり、武士が台頭して「天皇から征夷大将軍という位を頂いて」統治するという形を取ったりと、天皇は一貫して「象徴」だったと言えるのではないかと思っています。
GHQも日本をよく研究して、天皇を廃するより、より一層「象徴」であることを強めたうえで天皇制を継続したのでしょう。
今も、内閣総理大臣は1-2年でコロコロ変わってますが、天皇は変わりません。
雄略天皇の頃のように、大王自らが権力を持っていると、お互い殺しあって、もっと安定しない政権になっていたかもしれません。

天皇家のDNA、強い。

東京国立博物館の「聖徳太子1400年遠忌記念 特別展『聖徳太子と法隆寺』」展を、8月に見に行きました。
数々の素晴らしい宝物のなかで、ひときわ印象にのこったのが、「聖徳太子および侍者像」です。

日本人と聖徳太子の1400年史、万華鏡のように照らし合う時間と空間の旅〜奈良国立博物館・特別展「聖徳太子と法隆寺」 (7/9) - シネフィル -  映画とカルチャーWebマガジン

見た瞬間、あっ、天皇陛下に似てる!って思いました。
もちろん聖徳太子没後の平安時代につくられた作品、本当の聖徳太子を模したものではないはずですが、そのころの天皇ないし皇族の誰かがモデルに違いありません。
鼻とか目とか下唇がそっくりです。ついでに耳の形も似てます。
もう少し天皇陛下の顔の輪郭をシュっとして眉毛もキリリとさせたら、すごく似ていると思います。

さすがに、欽明天皇から数えても1500年以上は血統を続けてきただけのことはあります。天皇家のDNA強すぎです。

ひとつの家柄だけに特殊な役割を持たせるのは人権違反ではないか。

先日、秋篠宮家の長女の眞子さんが、小室圭氏と結婚しました。
小室氏はあまり感心した人物には思えないけれど、本人が結婚したいと熱望していたもの、結婚できてよかったと思っています。
全ての日本人が、好きな相手と結婚できる権利を持っているのに、天皇家に生まれたばかりに、その権利がないというのは、人権違反だなと思っています。
普通の家であれば、誰かを好きになってお互い結婚したいと思ったのなら、どんなに反対されようと、本人たちの意思で入籍届を出すだけ事足りる話です。
うまくいけば万々歳、うまくいかずに離婚したり、泣いて暮らしたりしてもそれは当人たちだけの話で、国民からの祝福だとかそういうものに配慮する必要なんてない。

天皇には、職業の自由も信教の自由も転居の自由もないです。
ようやく先代の天皇が特例で「天皇を辞める自由」を得ました。
私は天皇制自体に反対はしていないけれど、ひとつの家柄、ひとりの個人に、これほど重い制約を課する制度は、今後続かない気がしています。

聞いた話によると、上皇様は女性天皇に割と賛成だったようです。それが、今の天皇陛下は女性天皇には反対なので、話が進まなくなったということです。
右翼系のメディアに書かれていて「さすが天皇陛下、伝統をわかっておられる」といわれていたけれど、主な理由は「伝統」ではないと思います。
女性天皇を認めれば、娘である愛子様を天皇にするということになる、そうなると愛娘から「結婚する権利」を奪うことになるからだと思います。
歴史的に、女性の天皇は、天皇の妻であった推古天皇や皇極・斉明天皇や持統天皇、元明天皇を除けば、生涯独身でした。
もちろん夫の家系に天皇の地位が行かないようにするためです。

一人の父親として考えた場合、娘に「自分の行きたいところにも行けず、やりたい仕事もできない、非常に高齢になるなど世間が納得しないかぎり辞めることもできない」天皇という重荷を背負わせる、しかも息子であれば配偶者を娶れるのに、娘だと結婚することすら許されなくなる、そんなことを許したいはずがないと思います。
せっかく、今の制度なら、愛子様はそのうち皇籍を離れることになる、そうなれば一般人として自由な生活ができるのに、制度を変えたいとは思わないと思います。

壬申の乱だろうと源平合戦だろうと応仁の乱だろうと第二次世界大戦の敗戦だろうと絶えなかった天皇家、ここにきて大きな曲がり角に来ていると思います。
眞子さんの結婚は、その象徴的な出来事になるかもしれない、そう思っています。

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